狸のしっぽ 日本編  2008年


NO.1 2008.7.17 <新しいスタート>

五年ぶりに、美しい、母国、日本に戻りました。
それは、喜びと感動の体験でした。
自分の家で暮らす。小さな庭に、少しばかりの野菜を植えて、土日になると、
娘が帰ってきて一緒に食事をしたりする。
海外で頑張ってきた私達二人にとって、住み慣れた街の自分の家で、二人一緒
に暮らせるというだけで、幸せでした。

私は、市の広報や公民館のお知らせの冊子を丹念に読みました。
いくら休んでも深い疲れが取れず、家事も休み休みの状態ではありましたが、
何かをやってみたいと、思いました。
そして、家から歩いて15分ほどのところにある公民館で、6月から月に2回、
2時間、全部で4回、「紙芝居を学ぶ講座」というのがあり、これぐらいなら
やれそうだと、参加することにしました。

その講座に参加して、今まで知らなかった、紙芝居の楽しさ、素晴らしさを知
った私は、これは今の私にぴったりのものだと感じました。
声を育てるということは、ずっと取り組んできていたので、はっきりとして、
よく聞こえる声で話すことができます。そして、登場する色々な役になりきっ
てセリフを言うのは楽しいことです。
そしてこういうものは、人前で演じてこそ、さらに楽しさがひろがるのです。

ということで、発表の場があるといいなと思い、家の近くの小学校の、絵本の
読み聞かせのグループにも参加することにしました。
こちらは、月に一回、15分だけですが、それでも、私にとって初めての体験
なので、本の持ち方や、めくり方、本の選び方などを、教えてもらいました。

7月3日に、一年生のクラスで、一冊の本を読むことに決まった時に、子供の
時、息子が好きだった「やまからきたぺんぎん」の本を読もうと決めました。
そして、家に遊びに来た、娘や友達にも聞いてもらって練習をしました。
当日は、子供達にも、喜んでもらえて、嬉しかったです。

紙芝居の講座で学んでいるうちに、どうしても、紙芝居の舞台が欲しくなりま
した。木でできたその舞台の中に入れるのと、ただ手で持ったのとでは、全然
違います。小学校には舞台がないので、学校で紙芝居をやるためにも必要です。
そして、私の気に入った紙芝居四冊も、注文して取り寄せました。

これで、いつでも、お声がかかれば、私は、紙芝居の出前ができるようになり
ました。

たんたんたぬきの紙芝居、大人も子供もにっこにこ。楽しい楽しい紙芝居。

と、まずは近況報告が、できるようになりました。

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6月21日の夜、ナンさんが亡くなったという知らせを受けました。
あまりにも早すぎました。

頭では理解しているつもりでしたが、心が深く傷ついていることに気づけずに
いました。
自分が何を感じているのかわからない。これは変だ。ということに気づいて、
悲しみや辛さを感じないようにしてきたことに気づきました。
そうしなければ、タイでの最後の日々を乗り切ることができなかったと思います。

日本に帰って、体が深く疲れていて回復しなくても、心が新しい生活の楽しさと
幸せを感じていたので、癒されないままの辛さや悲しみを、心の奥にしまい込ん
でいることに気づけませんでした。心と体は一つのものなのにね。

私と同じように、海外の駐在から帰ってきた友達に会ったことがきっかけで、私
は辛かったと泣くことができました。
さらに、ナンさんに母親を投影していた自分の心に気づいたりする中で、私の中
に傷ついた子供がいることに気づきました。

インナーチャイルドのことは、色々やってきたことで、改善されたと思いこんで
いましたし、自分は成長したつもりでしたが、それは頭の中だけのことでした。

私の中には色々な私がいますが、傷つきやすい弱い子供の私を無視して、社会の
お役にたつ立派な私の言い分ばかり聞いていては、本当に幸せにはなれません。
自分とのおつきあいも難しいものです。

そんな時、紙芝居に出会って、私の中の子供がとても喜んで、元気になるのを感
じました。この子が生き生きとして輝くところを見たい。と、私は思いました。

「私は私にとって、愛にあふれた親になります。」ここから、スタートです。



NO.2 2008.9.5   <ねこのおかあさんが、教えてくれたこと>

紙芝居を学ぶ講座に参加した数人の仲間で、これからも紙芝居を楽しんでゆく
ための自主グループ、「ころころ座」を作りました。
お互いに好きな紙芝居を演じて感想を言い合ったり、地域の「子育て広場」な
どに行き活動をするグループです。

そしてその日、仲間の一人が演じてくれた「ねこのおかあさん」という紙芝居
は、私の心を大きくゆさぶり、大切な気づきを与えてくれました。

幼い子供向けの紙芝居には、母と子の触れ合いをテーマにしたものがあります。
そしてそれは、私にとって、苦手なタイプ、演じたくない紙芝居なのです。
そんな風に感じるのは、私の心の中に、未だに母への反発、ゆるせない思いが
あるからです。

「生き残るためには、親(自分が依存する権力を持った相手)にとって都合の
よい人間にならなければならない。いい子の仮面をかぶって生きよう。もっと
もっと頑張らなければならない。私は充分ではない。」という、私を苦しめる
「思い込み」に支配されて、私は生きてきました。
そして、その「思い込み」があるのは母のせいだという「思い込み」を消すこ
とができないために、母を赦せないでいました。

頭では、色々なことを学び理解しているのに、心と体を癒すために、色々なこ
とをやってきているのに、無意識のレベルに深く刻みこまれた「思い込み」の
支配から抜け出すのは本当に難しいことでした。
そして、駆り立てられるように生きていながら、自分はやりたいことをやって
生きている幸せな人間だと思っていました。(体は、ぼろぼろに疲れて、どこ
か間違った生き方をしているよ。と、教え続けてくれていたのにね。)

少し前のこと、ある友達の文章を読んで、はっと気づかされました。
「お母さんは太陽にならなくてもいい。お母さんはお母さんでいい。人間でい
いよね。」

この言葉によって私は、「太陽のようにいつも明るく、ニコニコしている完璧
な人間であるべきだ」という思い込みにとらわれていたこと、そしてそんな風
ではいられない自分と母を責め続けていたことに気づいたのです。

あるがままの母、その時はそれが精一杯だった母を、受け入れて赦すことと、
あるがままの自分を、受け入れて赦すことは、同じ一つのことでした。
そして、そのことと、自分を支配する「思い込み」を手放すことも、一つに
つながっていました。

あるがままの自分を受け入れて、どんな自分をも赦すのは勇気のいることです。
それは、そんな自分では愛されない、拒絶されるという恐れがあるからです。
(恐れているのは私の中の子供です。)
そして、そんな自分を愛さないのは、世間の目を気にする親の「思い込み」な
どによって作られた、完璧を求める人格です。
この人格に支配されていたことで、心も体も苦しくなっていたのです。

私はその存在を自分だと錯覚してきましたが、それは、過去から引き継がれて
きた、間違った想念によって作り出されたものにすぎません。幻です。

私は自分のことを、赦したくて、癒したくて、愛したくてたまらなかったので、
怯えている私の中の子供の人格を暖かく抱きしめ、励ましてあげました。

「私は私にとって愛にあふれた親になります。」

私は、私のすべてを受け入れてくれるもう一人の存在を、私の心の中に住まわ
せて、「絶対大丈夫。すべてうまくいくよ。」と、言い続けてあげました。
今ここ、みかけは大人の私の心の中に居る、無限の可能性を持った大切な子供。
その子供の言葉に耳を傾け、その子を愛し、その子を育てることは、そのまま、
未来を担う子供を育ててゆくことに、つながってゆくと思います。

そんな私に、勇気と励ましを与えてくれたのが、「ねこのおかあさん」でした。
このお話は、1996年3月、アメリカのニューヨークで、本当にあった事を
紙芝居にしたものです。

それは、あるビルの火災の時に、おかあさん猫が、燃え盛る火の中に飛び込ん
で五匹の仔猫を助け出すという話です。
はじめて、この紙芝居を見た時、ねこのおかあさんの行動に感動しつつも、そ
れは、動物の本能だからできたのだと思いました。人間はそんな無謀なことを
しないと思いました。

でも、この紙芝居には、心を深くゆさぶる力がありました。
赤い炎の中に立つ黒い猫のおかあさんの凛とした姿の美しさ。
その絵は、理屈を超えて、内なる力の存在を呼び起こしてくれました。

私は、昔、母が言っていた言葉を、ふと思い出したのです。
「私は子供のためなら死ねるよ。」
母は自分では気づかずに、子供の心を深く傷つけてしまう人ではあったけど、
その言葉は本当だと私は信じることができたのです。

そして思いました。人間が猫より劣るはずがない。人間だって動物の本能が宿
っている。もし、幼い私が火の中に取り残されたら、お母さんは、きっと飛び
込んで助けてくれるにちがいない。

そう確信したとき、母の私への強い愛が伝わってきたのです。
そして、たとえさまざまな間違った「思い込み」によって、人を傷つけること
があっても、人間の心の奥には「愛」があると、私は確信したのです。


それから少しして、私は、長年私を苦しめていた私自身の反応パターンに気づ
き、それを手放そうと思えたのです。
それは、自分がされたらいやなことを、気づかずに人に対してしてしまった時、
罪悪感と屈辱感を感じて、激しく自分を責めるというパターンです。
それは、母を赦さずにいるうちは、そこから抜け出すことのできないパターン
でもあったのです。

私の心の中には、まだ保留にしているさまざまな問題がありますが、母と私の
間の葛藤を、手放すことは私の一番の願いでした。

がちがちに固まり、こんがらがっていた心。凍りつき自分が何を感じているの
かさえわからなかった心。
そんな私の心が、随分ゆるんで、ほどけてきたなぁと思えて、嬉しいです。


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「私は私にとって、愛にあふれた親になります。」
日本に帰って、自分を癒すために、そこからスタートして三ヶ月。

8月の私の目標は、「私は子供にとって愛にあふれた親になります。」でした。
そして、一ヶ月後の今、ねこのお母さんもステキだけど、たぬきのお母さんも、
いいなと思います。
そのお話は、次の機会にね。ふふふ。


NO.3 2008.10.17 <幸せなな結婚式>

9月27日、午後4時から、山形の温泉旅館で、息子の結婚式がありました。
親兄弟と親戚だけで、とてもシンプルなものでしたが、心のこもった式でした。

息子も新婦のNさんも、東京で働いていますが、私のパートナーのヒデさんの
実家が山形で、Nさんの実家が秋田ということで、山形に決まりました。

息子達は、打ち合わせのために、何度も山形へ出向き、来てくれる人に喜んで
もらえるように、色々考えたようでした。

息子は、かなり緊張している様子でしたが、頼りになる一人前の男に育ったと、
思いました。新婦のNさんは、美しく輝いて、この人が私達の娘になるのだと
思うと、嬉しい気持ちになりました。

この日のために娘は、「弟に喜んでもらえるかなぁ」と何度も私に聞きながら、
10年ぶりにピアノの練習を始め、当日は振袖姿で「月の光」を弾きました。

それから、参加者に次々にマイクがむけられ、お祝いの言葉や、二人にまつわ
るエピソードなどを語りました。
私も突然、息子が生まれた時の体重と身長などを聞かれ、「身長は忘れました。
生まれたとき緑色をしていて、少ししてから赤くなりました。」と、わけのわ
からないことを話してしまいました。

新郎新婦が、二人で「麦畑」を歌ったり、参加者全員に、小さな封筒に入った
手書きの、感謝の手紙を手渡してくれたことも、心に残りました。

ということで、アットホームな結婚式が終わったあとは、それぞれ部屋に帰っ
て、浴衣に着替えて、温泉に入ってリラックス。
久しぶりに会う親類の人達と話をしたり、新郎新婦と、その兄弟、従兄弟達の
若者グループに合流して、カラオケを楽しんだりもしました。

次の日は、私達が結婚した時から、親戚同様にお付き合いをしてきた、二組の
友達夫婦と一緒に「山寺」に行き、美しい自然を楽しみました。

というわけで、息子の結婚式が無事に終わり、ほっと一息つきながら、しみじ
みとした喜びを感じました。

結婚式の一ヶ月前、私は、息子のために私にできることは何だろうと考えて、
この日参加してくれる人、留守番で残る人のために、祈ろうと決めました。
特に、山形の父は、今年のお正月に会った時から、色々心配なことがあって、
母から、不安な声で電話があったりもしたのです。
それで、祈りの仲間にも協力してもらって、父のために特別に祈りました。

そして今回、父は、見違えるほど元気になって、初めて会ったひ孫と、嬉しそ
うに写真に映っていました。
さらに、家で食事の時に、食器を運んで、母の手伝いをしていました。
ささやかだけど、嬉しい変化に感動して、娘は涙ぐんで喜んでいました。

心を込めた祈りは、確実に届くのだということを実感したことは、私にとっ
て嬉しい自信になりました。

それぞれに、色々な問題を抱えながらも、今を精一杯生きている両親達。
厳しい状況の中、自分の可能性に向かって、チャレンジしてゆく子供達。
遠く離れていても、大切な家族に、応援のエネルギーを送ることができるのは、
本当に、ありがたく、嬉しいことです。

以前の私は、親やこどもの生き方に対して、「もっとこうすれば、幸せになれ
るのに」と、不満に思ったり、心配したりしていましたが、余計なアドバイス
をするより、その人のために祈るのが一番だと思います。

「いのり」とは、その人が本来持っている、いのちの力を引き出して、その人
がいのちを輝かせて、その人らしく生きることを応援するものです。

そして家族の幸せを祈る祈りは、そのまま私を幸せにする祈りになるのです。


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家族や、その時エネルギーを必要としている、友達などのために祈ることは、
私の日課になっています。
8月は、アトピーで困っていたり、色々頑張っている娘のために、特に集中し
て祈りました。
それで、すぐに良くなるというわけではないのですが、それを改善してゆくの
に役立つことに、次々と出あったりして、うまくゆく方向へと、エネルギーが
流れていくのを感じました。
祈ることしかできない場合もありますが、祈ることで、今何をすればいいのか
がわかって、行動に移せたりもします。

私の祈り言葉は、いつも同じです。18年間、この言葉を言い続けています。

 世界人類が平和でありますように
 日本が平和でありますように
 私達の天命がまっとうされますように
 
そして特別に応援したい人のために祈る時は、「印」を組んで祈ります。

一般の人のような体力がなくて、休み休みのお昼寝つきで、生活をしている私
ですが、「祈り」があることで、自分に自信を持って生きてゆけるような気が
します。


NO.4 2008.12.5 <自分を信じる力>

日本に帰国して7ヶ月になります。
先日、とても嬉しいことがありました。娘が、通関士の試験に合格したのです。
合格率が7パーセントぐらいと言う事で、今年の春に、チャレンジすることを
知らされた時は、正直に言って、誰もが、無理なのではと思ったようです。

娘は、今年30歳になるので、その記念としてあることにチャレンジしようと
決心し、その具体的な行動として、難しい試験を受けることにしたのです。
(もちろん、その資格があれば、今の職場でも役にたちます。)
あることを決心した娘の気持ちを思うと、私の胸はうずきました。

娘が子供の頃、なぜだか理由はわからないのですが、娘の欠点ばかりが目につ
いていました。そして、自分の不安や心配の想いから、あれこれ言っては、娘
を責めていました。息子と比較しては、娘は頭が悪いと思いこんでいました。
そして、そのことによって、娘がどれほど、辛い思いをしていたのかに気づき
ませんでした。

娘が15歳の時、私ははじめて、自分が、どれほど娘を傷つけてきたかという
ことを知りました。そして私自身も心に深い傷を負ったまま、それに気づかず
に生きてきたことに気づきました。

その時からずっと、私は、自分の心を見つめ続け、赤ちゃんの時から、やり直
したいと、思ったりしながら、自分を癒し育ててきました。
そして、祖母から母へ、母から私へ、私から娘へと引き継がれてきた、悲しみ
の連鎖(子供を拒絶したり、侮辱することを、無意識、無自覚に続けてゆくこ
と)を、私のところで断ち切ろうと決心しました。

それを実現するために私は、色々なことをやり続けてきましたが、日本を離れ、
タイで五年間暮らしたことが、私にとって、とても助けになりました。
私は、リズ・ブルボーの「からだの声を聞きなさい」(ハート出版)という本
をテキストとして、自分の心を見つめる作業を続けました。
そして、フェルデンクライスメソッドを学ぶことで、体のレベルで、「あるが
ままの自分に気づき、それを受け入れること」を体験しました。
さらに、「過去からの習慣のクセや反応パターンではない、別のやり方に気づ
き、それを取り入れていくこと」を体で学ぶことで、それが心にも及んでゆく
ということを体験できました。
タイに居る間、ゆったりとした自由な時間の中で、私は自分の心と体を育て続
けました。自分を赦し、自分を愛することを学び、実践してきたのです。

そして、帰国してからは、私達の帰りを待ちわびていた娘を、心から愛した
いという気持ちでいっぱいでした。
休みの日になると、実家に帰ってくる娘は、まるで幼い子供のように甘え、
我が家でくつろいでいました。
五年間の一人暮らしで、自立して生きるようにはなっていても、娘の心の奥に
寂しさに耐えてきた幼い子供がいたのです。その子供が、両親に愛されること
を実感し、やり残した子供時代を、取り戻しているように思えました。

そんな日々の中で、娘が自分から、少しずつ変わってゆきました。
まだ、腕のところにアトピーが残っているということもあって、体に良いもの
を食べようという自覚が出てきて、食生活が変わりました。
いつのまにか、タバコを吸うのもやめていました。
以前は、あれこれアドバイスをしても、反発するだけだったのに、今では私が
実践していることを、自分から取り入れるようになっていったのです。

すべてはつながっている。特に親子、母と娘は、深いところで一つになってい
るということをしみじみ実感します。
かつて私は、母を憎み赦せない時がありました。そして、少しずつ母を受けい
れ赦せるようになり、感謝できるようになっていったのです。
そしてそれと同時進行で、私と娘との関係がどんどん良くなっていったのです。

そして今回、見事に試験に合格した娘が、私に言いました。
「私はずっと、自分は頭が悪いのだというコンプレックスを感じてきた。その
コンプレックスを払拭したくて、この試験にチャレンジした。今は、自分の力
を信じることができる。どんなことでも、絶対やりとげようと思ってチャレン
ジすれば、やり遂げることができることがわかった。資格がとれたことよりも、
自分を信じれるようになったことが、何よりも嬉しい。」

私は、このことによって、長年私を苦しめていた、「娘の可能性の芽をつみと
ってしまったのではないか。」という罪悪感から解放されました。
そして、娘からたくさんの「勇気」をもらいました。
娘は、試験を受けるということを、会社の人達にも宣言していました。(きっ
と、受かるか落ちるかで、みんなで賭けているんだよ。と娘は言いました。)
でも、はっきり宣言したことで、まわりの人達が、何かと便宜をはかって協力
してくれたそうです。

「生まれて初めて、死ぬほど勉強した。」という娘は、この半年間、本当に、
すごい集中力で、寸暇を惜しんで、苦手なはずの本を読み続けていました。
そして今、「こんどは体力をつけよう。」と言って、スポーツクラブの会員
になって、ジムで走ったり、プールの中を歩いたりしています。
私はそんな娘を、とても頼もしく感じます。

ここまでくるのに、長い道のりでした。でも、やっとここまでこれました。
自分のことも、娘のことも、褒めてあげたいです。
私達を支えてくれたたくさんの人達に心から感謝します。

これからも私は、自分の心を見つめ、間違った思い込みや恐れに気づき、そ
れを手放してゆくという作業を続けてゆきます。そして、それによって私が
本来持っている力を取り戻してゆきます。
そのことが、目には見えなくても、私の子供達、そして私に縁のある人達に
自分を育てる力を、送ることになるのだと確信しています。


NO.5 2008.12.24  <忘年会は化け比べ?!>

先日、友達と五人で、京都で一泊の忘年会をやりました。
この友達とは、子供が小学校の時に、PTAの活動を通じて出会い、その後も
月に一度は集まって、色々なことを正直に語り合ってきた仲間です。

五人一部屋で格安で泊れるところがあったので、旅行の計画をたてていた時、
仲間の一人が、「京都に行くなら、舞妓さんに変身してみよう。」と提案した
のです。こういうことは、一人ではできないし、家族との旅行では無理なので、
四人のメンバーがチャレンジすることにしました。

でも、私を含めみんな錯覚していたのです。
見本の写真のきれいな舞妓姿のモデルを見て、自分達も顔を真っ白に塗れば、
多少の難点はかくれるのではないかと思っていたのです。
ところが、それはまったく逆でした。お化粧をしてもらうと、素顔では目だた
ないしわまではっきりして、さすがの私も、舞妓さんには無理があったと悟り
ました。

それでも、そこで終わったわけではありません。
私達の行った変身スタジオでは、芸妓さんに変身というのもやっていて、今な
ら両方やっても半額サービスというのです。
ということで、私達は、舞妓姿の次に、衣装と鬘を替えて芸妓さんに変身した
のです。当然、こちらのほうがしっくりときました。
お声がかかれば、お座敷にも出れそう。なーんてね。ふふふ。

スタジオで写真を撮った後、和室に移り、自分達で色々なポーズの写真を撮り
あいました。可笑しくて、楽しくて、とても盛り上がりました。
そして、後日私達の写真を家族や友達に見せて、おおいに笑ってもらえれば、
楽しさ倍増です。
何かと暗い話題の多い年末に、バカ笑いできるのっていいなと思います。

一泊して次の日は、「三十三間堂」に行きました。
千体の観音様が、手を合わせて、お立ちになっている姿は、圧巻でした。
「みんなの幸せのために、祈りなさい」という言葉が心に響きました。

ということで、美味しいご馳走で幸せな時間、大爆笑の楽しい時間、厳かな感
動の時間を体験した忘年会でしたが、最後にもう一つ、おまけがありました。

帰りの時間が予定より遅れて、名古屋駅に着いたときは、もう真っ暗。
そこで出会ったのが、クリスマスの特別のイルミネーション。
その美しさと楽しさに、おもわず歓声をあげてしまいました。
まるでお伽の国にいるようでした。

「にんげん誰しも しあわせな時は、いい人でいられるから みんなみんな
しあわせになろうよ。」 (ひろはま かずとしさんの言葉)

私達はこの言葉を胸に、それぞれの家庭へと帰りました。


    <クリスマスにはジングルベルを>

紙芝居のグループ「ころころ座」ができて四ヶ月ほどになります。
講座がきっかけで初めて出会った七人の仲間と、今では互いに信頼し助け合っ
て活動しています。
月に一度、地域の子育て広場で、紙芝居をやってきましたが、12月23日の
活動日には、何か特別なことをやろうと、みんなで計画をたてました。

メンバーの中に、手芸の得意な人がいたので、その人に教えてもらいながら、
軍手とフェルトで簡単にできる指人形をつくりました。
私はたぬきにしましたが、みんなも、うさぎ、くま、パンダ、にわとり、うし、
ぞう、さる、きつねなど、色とりどりの布でそれぞれに工夫してつくりました。
それから、今までは、紙芝居の間に手遊びを入れていただけでしたが、今回は
「ジングルベル」の歌を歌うことにしました。

ということで、今回から、人形のたぬきさんが司会をつとめました。
このたぬきさんは、いつのまにかできた「ころころ座」のテーマソングを歌い
ながらの登場です。

♪ころころころころ ころころ座 楽しい楽しい紙芝居

 今日のお話なあに にこにこ わくわく 始まるよ〜

そして、サンタさんがでてくる紙芝居、楽器のでてくる紙芝居をやってから、
「おむすびこーろころ」という楽しい手遊びをしました。
その後に、また二つ紙芝居をやりました。

最後にたぬきさんが、ジングルベルの歌詞を紙芝居の舞台の中に入れて、
「おーい。森の合唱団のみんな。一緒に歌おうよ。」と声をかけると、たく
さんの仲間が登場して、会場は一気に華やかになりました。
そして、タンバリンをたたきながら、みんなで楽しく「ジングルベル」を歌
いました。

見てくださる人も、演じる私達も、本当に楽しい時間を過ごせて幸せでした。

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ということで、たぬきさんが歌います。

♪走れそりよ 風のように 雪の中を 軽く早く

 笑い声を 雪にまけば 明るい光の 花になるよ

 ジングルベル ジングルベル 鈴が鳴る 今日は楽しいクリスマス


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